2012/04/16

お花見♡

少し前の話になるけれど、桜の盛りの週末に東京にお花見に行ってきたよ♡去年の今頃は、お引越しなどがあって、お花見どころではなかったので…芦屋の桜並木で済ませたお花見。今年は、東京で。

上野公園、目黒川沿い、そして千鳥ヶ淵。どこも桜の名所として有名でミーハー全開で行ってきた。


上野公園。
桜の木の数はビックリするほど多くて、学生さんや会社の集まり、多くの家族連れが場所取りをして、思い思いに桜の下で過ごしていたよ。


カップルが、歩く様子もどこか艶かしいね。無邪気に絡めた腕が、にくらしい。



目黒川沿い。
この辺は桜の季節じゃなくても、お散歩をするのにもってこい。大好きな古書店もあって、お気に入りのエリアだったけれど、桜の季節はまるで全く違う場所に来たみたい!
いつもは閑静な場所、ビックリするくらいの人の波に、ただただ圧倒された。
それもそのはず、ここの桜も素晴らしい!!


川の両岸にズラリ並んだ桜はちょうど満開で、花の重みに枝がずるりと垂れ下がっているんじゃないかと思うほど。
豊満なのね、なんかもう、桜の木自体が。


カフェの立ち並ぶエリアらしく、モエドシャンドンを売っていて、一つずつ買って、お行儀が悪いと知りつつも飲みながらそぞろ歩き。
なんだかとってもお洒落に感じられて、都会派気取って歩いた。


桜はこんなにも満開に咲き乱れているのに、花冷えと言っていいくらいに寒い日で、夕方は身体の芯から冷えて、欲しくなったおでん。


玉子も半分こ、コンニャクも半分こ、いつもこうやって、分け合ってきたように思う。長い間、何だって二人で一つを分け合うことを決めてきたのに、気持ちだけはどうやっても分け合えなかった。どうしてかな。

翌日。千鳥ヶ淵へも行ってみようと、足を伸ばした。


行けて良かった。お堀の周りをぐるりと囲むように、無数の桜。
わたしたちは外側から桜を観たけれど、特に美しく見えたのは、対岸の桜。すぐそこに見えているけど、どうしたって手の届かない桜のほうが綺麗に見えたのは、なんだか切なかった。
どこで桜を見ても、自分の心理状態が投影されるのか、どこか物悲しく切なく見えた。そうそう。桜って本当に、切ない花だよね。


この花が咲くと、絶対に思い出すのは、aikoの【桜の時】。

右手をつないで
優しくつないで まっすぐ前をみて
どんな困難だって 
たいしたことナイって言えるように
ゆっくりゆっくり
時間を超えて また違う
幸せなキスをするのが
あなたであるように

どんな困難だって、たいしたことないって明るく笑い飛ばせればいいのに。来年はどこにいて、どんな気持ちで、桜の木を見上げるんだろう。









2012/04/15

4月のある日の朝ごはん♡

久しぶりの更新になるけれど、またこまごまと日々の出来事を記録していこうと思うよ。

ここのところは、本当に何もする気が起きなくて・・・ちょっと思うところあって、何だかこれまで大好きだったモノ、コト、全部ぜんぶどうでもいいように思えて辛い毎日。本も読む気が起こらなくて、美味しいものを目にしても食べる気もちにならないし、美しい景色を見てもね、心が動かないというか。

そういう時もあるよね、って自分に言い聞かせて、大人しくしてた。ずっと。冬眠中のクマみたいになってた。

どんなにつらくても、元気が出なくても、やる気がおきなくても、それでも朝は来るわけで。朝がきたら、仕事に行かなければならないし、休日であっても予定は巡ってくる。どうにかして元気を出すために、朝ごはんを食べる。食欲がなくても。

オレンジケーキや、スコーンたち。お願い、オラに元気をわけてくれーーー!




2012/04/03

希望の国のエクソダス♡

BRUTUSで紹介されていて、読みたいな〜、と何となく思っていた、村上龍さんの【希望の国のエクソドス】。


文庫の割にはボリュームがあって、なおかつ内容が、全く無知の分野【経済】に関わるところが多いということもあって、読むのにものすごーく時間がかかった。
でも、読んでおいて良かった!

中学生が、既存の日本の枠組みから飛び出して、新しい枠組みを作っていく過程を【既存の日本の大人】の視点で描く小説。はじまりは今から10年とちょっと前の2001年。書かれたのは、そのもう少し前の2000年なのだけど、その後の日本に現実に起こったこととの酷似性がものすごくて、すごいインパクトだった。

わたしは経済なんて全くわからないから、公的資金がどうの、通貨がどうの、と言われてもイマイチぴんと来ない。でも冒頭に出てくる【アフガニスタン】【パシュトゥン】などの異国の地名や民族が2001年以降、頻繁にニュースに登場したことは何となくわかるし、日本経済が波はあれど、ずっと停滞していて、その明確な解決策を【日本の大人】がずっと提示できていないことも、何となくわかる。

そういった意味で、2000年に村上龍さんが描いた小説は、未来予想図であって、そしてかなりの近似性をもって(残念ながら)実現してしまっているんじゃないか、と思った。

唯一、違うのは中学生が行動力を発揮して、既存の枠組みをから飛び出すということがないだけ。
この中学生が、村上龍さんの描いた小説の中で【ヒーロー】という位置づけなるとは決して思わないけれど、停滞した日本という国に風穴をあける存在だったことは否めない。そして、そういった存在は2012年になった今も、現れていない。

【ヒーロー】はいつ現れるんだろう?

そう思った時に、ふと気がついてしまった。わたしたちは「いつか、誰かが」という期待感だけもって、ズルズルと、まるでガンが身体をじわりじわりと進行していくのをただ黙って見ているだけなんじゃないだろうか?
「自分が変えてやる」という手を挙げる勇気も、責任感もないままに、ただボンヤリと眺めているだけ。

発表当時、2000年には高校生で、その当時に読んだならきっと、より歳の近い、中学生に共感して「こんな大人には絶対なりたくない!」って思っただろうわたしも、今や29歳。
【なりたくない】はずの大人の仲間入りを、とっくに果たしてしまっていることに気がついて、ただただ悲しかった。

何をどうしたらいいのか、全くわからないままに、危機感だけを煽られる存在。
この先、何か動かなきゃ…どうにかしなきゃ…と思いながら、きっと何も動けないんだろうな。
そんな硬直している自分をもどかしくイライラしながら、ページを閉じた。

読んでおいてよかったけれど、モヤモヤだけが残った1冊として、記憶に残るな。きっと。あーーー。


ふと本棚を見たら、2005年に既に買っていて、未読なだけだったことに気づいた。手元には同じ本が2冊。無駄買いをしたこと以上に、時間が経ちすぎて、そんな遅すぎた自分が悲しかった。

希望の国のエクソダス/村上龍