2012/03/07

悼む人♡

久々に、ずっしりとした小説が読みたくなった。

雑誌で【おすすめの本】等と特集されると、必ず挙がっている天童荒太さんの【悼む人】。直木賞受賞作品。悼むという字は「いたむ」と読むのだと、この本を読んで初めて意識したかも。今回はちょっと真面目に、生き死にについて考えてみた。ちょっと長くなるけれど・・・。



まず。恵まれていることに、わたしはこの歳になるまで、身近な人の死というものに立ち会ったことがない。ありがたい…のかな?
4つの時に父方の祖父がなくなったけれど、祖父は誰にも看取られずに逝ってしまったので、死の記憶は全くなくて。高校生の時には父方のおばが亡くなったのだけれど、これまたあまり覚えていない。おばの場合は申し訳ないことに、学校や部活を言い訳に、殆どお見舞いにも行かず…完全に傍観者だった。今になって、苦い思い出と共に心残りがあるんだ。
こうして、それ以外、特に近い親族や友人の死に直面することがなかったというのは、本当に幸せだと思う。ただ‥これから来るべき時に、きちんと自分が向かいあえるのか、対処できるのかは正直、不安。。。

そして、この本。確かに読むまで意識もしたことがなかったけれど、わたしたちは亡くなった方に対して明らかに【区別】をし、【数値化】して、最終的には【忘れていく】ことを繰り返してる。もちろんわたしも含めて、というかこの【坂築静人】以外、ほぼそうだろうと思う。
【みんなから嫌われて、死の間際まで嫌い抜かれた人】【神も仏もないくらい、不遇で不幸な死を遂げ、誰もが同情の涙を流した人】どちらも死は死で、等しく同じ。死んで良かった人なんていないのに。そんな区別なんてないよ、っていう人があるかもしれない。そういう人は、コンビニに並んだ週刊誌、ネットの掲示板なんかを検索したら、実際にある区別の例がたっくさん出てくると思うよ。
数値化をすること。【先の震災の死者は○○名になりました。】なんて、良く目にする表現。一人ひとりに人生があって、家族や友人がいたのに死んだ瞬間に数字になってしまう。【悼む人】の言葉を借りると、【誰に愛され、誰を愛し、どんなことで感謝されたのか】が一瞬にして、消え去って忘れていく。そうでもしないと、毎日無数の命が生まれては消えていくんだから、精神的に壊れてしまうよ、って言う人もいる。それもわかるんだけど、至極まっとうな意見なんだけど、それでも「どうしてなんだろう?」って疑問は深く残る。

この疑問は、誰しも一度は脳裏によぎったことがあるんじゃないかな?わたしもあるよ。それでも日常深いところに押し込めて、疑問が首をもたげてこないように、深く考えないように、臭いものに蓋をするように生きてきたなーって、これを読んで改めて突きつけられた気分。
この辺、だてに構想から作品化まで8年かけてないな、って思う。


生きるということ。この作品は静人と倖世、そして朔也を巡る【死】と同じように巡子や鷹彦、美汐など、静人の家族を通じて【どう生きるか】も考えることを要求してくる。もし自分が巡子だったら、美汐だったら?そうやって、一人ひとりの立場に自分を置き換えて考えることで【自分はどう生きるか】をも模索していくこと。
人生はホロ苦いよね。色々あるし。完璧なんてないから、面白いのかもしれないけれど、運命は時として残酷。そうだと思う。
巡子の生き方は本当に素晴らしくて、わたしも真似をしたい。どんな事があっても明るく背筋を伸ばして前を向いて生を全うしたいな。

これから、わたしの人生の色んなステージで様々なことがあると思うんだ。親はどんどん年をとるし。自分も確実に死に近づいていくし。その時々に、納得のいく決断をして、【よく生き】たいと思う。家族など、関わる人の意志を尊重したい。愛情をきちんと伝えたい。いつまでも、どんな人だったかを覚え、その人と過ごしたことを胸に刻みたい。

そして、欲を言えば‥だけれど。
静人のように、自分には全く無関係であっても、人の死を数字で感じるだけにはしたくない。そこに愛情があり、想いが宿り、願いがあったことをきちんと思いたい。そして、その人が有ったことを尊く感じられる感性を持っていたい。きっと、そのために何度も読み返すんだろうな。
あると思います。

悼む人(上)/天童荒太
悼む人(下)/天童荒太

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